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STERLING SUPER SELMER LONDON FOREIGN

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STERLING SUPER SELMER LONDON FOREIGN

A.COURTOIS 168

ファイル 539-1.jpg

A.COURTOIS 168
Saxhorn Basse en Ut (in C)
French Tuba

Couesnon trombone

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Couesnon trombone, manufactured in 1924
Key: Bb
This trombone, as many other Couesnon instruments, was built for potential military or brass band use. Therefore, there are a couple of bits by the tuning slide (see photos 5 and 6) that you can remove to bring the pitch up to A450

SELMER Picc.Trumpet

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SELMER Picc.Trumpet
Bb-A
Yellow Brass Bell
4 Valves
3rd Trigger
Lacquer Finish

Antoine Courtois History

Antoine Courtois
21世紀に蘇る伝統の響き。

一般に”コルトワ”として知られている”アントワンヌ・クルトア”と”ベッソン”は、フランスが世界に誇る金管楽器の銘柄です。偶然にもモーツアルトの誕生250周年にあたる2006年は、後年、きっと音楽史のページに特筆される年になるでしょう。”アントワンヌ・クルトア”はドイツ資本から、そして”ベッソン”はイギリス資本からそれぞれ離れて、ビュッフェ・クランポンによってフランス国政の会社に戻り統合されたからです。
この夢のような成り行きは、フランスの金管走者にとって大きな誇りであり、フランス音楽を愛するものにとって大きな喜びでもあります。
クルトア・ファミリーが楽器を作り始めたのは、パリ市民が蜂起して革命が勃発した1789年で、当時の狩猟ホーンはベルリンに、ナポレオン・ボナパルトが伝令にもたせた騎兵ラッパはパリに実在しています。
1803年以降、おそらく創業者の死後、子供たちや甥っ子たちが次々に序業を継承したのですが、アントワンヌ・クルトア(1770〜1855)が音響の改良に成功してブランドへの評価を不動のものにしたのです。
主な顧客は軍楽隊でしたから、各種の金管楽器を手がけていましたが、もっとも力をいれたのはトロンボーンでした。

アントワンヌ・クルトアとその息子

1844年から父親の後を継いだアントワンヌ・クルトア二世(1800?〜1880)は、ちょうどビュッフェがクローゼの協力によってベーム・システムのクラリネットを開発したように、ジャン=バプティスト・アルバン(1825〜1899)の意見を取り入れ、一世風靡をすることになるアルバン・コルネットが発売され記録的な成功を収めました。以後現在に至まで、それがトロンボーンと並ぶ主力製品になりました。アルバン(英語読みアーバン)は、コルネットおよびトランペットの近代奏法を確立した名手で、1864年に著した教則本は奏法の基本となっています。

アンボワーズの工房

工房はパリの南西方に位置し、国鉄に乗ると約2時間でいけるアンボワーズにあります。その辺りはロワール地方といい、平野を蛇行するロワール川お風光を愛でたフランス王の城館が点在しています。その中のひとつシャンしポール城は世界遺産に登録されており、ロワールの城巡りは有名な観光スポットです。
ロワール地方の中心部にあるアンボワーズ城は、16世紀の宗教戦争時に国王フランソワ二世を取り込もうとして取穴したユグノー(プロテスタント)が、カトリック勢力に惨殺され事件の舞台として歴史的に名を留めています。また、フランソワ一世に招かれた晩年をフランスで過ごし客死したレオナルド・ダ・ヴィンチは、場内に葬られています。英仏百年戦争前に、ジャンヌ・ダルクが点線したのもこの地方です。

現代に生きるアントワンヌ・クルトア

日本えも優れた木工職人が美しい洋家具を作っています。が、見事に仕上げられた椅子に腰掛けてみると、ヨーロッパの家具に比べて何となくしっくりこないことがあります。それはきっと職人の日々の生活や文化的な背景による、感覚の差ではないでしょうか。
楽器製造に関しても同じような問題があります。いかにテクノロジーにおいて進んでいても、それだけでは演奏者を何族させる楽器は作れません。長年にわたる演奏家との交流を通じて蓄積されたノーハウや、職人の指にこめられた情熱があってはじめてよい楽器が生まれるのです。
アントワンヌ・クルトアは200年の長きにわたり、パリのオペラ座や音楽院と歴史を共有し、フランス音楽発展の一翼を担ってきました。
これからは世界中の交響楽団やシンフォニック・バンド、そしてトップ走者によって、製品の進化が証明されていくことになるでしょう。
2006年1月、〈ベッソン〉ブランドと同様にBuffet Crampon S.A.S.にとうごうされましたから、これからは〈ビュッフェ・クランポン〉ブランドのよきパートナーとなって世界の檜舞台で活躍する事になるでしょう。

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